『おらほの口内さ よぐござれぇした』
私達の口内に、ようこそおいで下さいました
口内町へのアクセス
口内町は北上市の東部に位置する自然豊かな町です。
- 北上駅から約10km 車で約15分
- 北上江釣子I.Cから約13km 車で約20分
口内の歴史
口内町は、江戸時代は伊達藩であり、南部藩との藩境の地でした。
明治以降、近郷五村が合併して江刺郡福岡村が誕生した。更に昭和29年の町村合併で北上市に帰属して北上市口内町となり、現在にいたる。
浮牛城まつり
浮牛城は、安倍貞任が築城し、牛三頭を生き埋めにして地鎮したことが名前の由来となっている。元禄8年伊達藩家臣の中島監物利成公が城主となり、明治維新まで南部藩境を警備したと伝わっている。まつりは、慶応2年の藩主が仙台から戻った際の行列を再現したものである。
名産品
口内米
主な品種は「ひとめぼれ」で、口内の土壌で育てられたものは特にうまいと評判になっている。
りんご
中山間部の傾斜地を利用して作られているりんごは、寒暖差により甘味の強いものが生産されている。主な品種は「ふじ」。
ごしょいもコロッケ、餃子
イヌリンを豊富に含むごしょいも(菊芋)を使ったコロッケと餃子は、シャキシャキした食感と味の良さで人気がある。
郷土芸能
行山流口内鹿踊
そもそもは、奈良の春日大社の神事芸能である。これが伊達藩塩釜神社に伝わり、文化11年(1815年)隣接の稲瀬村上門岡から上口内村草刈場市太郎が伝授され大正末期に中段されていたものが、昭和24年に復活され現在に至る。
口内鬼剣舞
大宝年間(701~704年)に修験山伏の元祖役の行者小角が踊った「行者念仏踊」が始まりと伝えられる。踊りは鬼が浄土往来の喜びや悪魔撤退、天下泰平を祈念し踊り狂うさまを表したものであり、鬼面に角が無いのは仏道に帰依したことを表している。
早池峰嶽流綾内神楽
大正4年当時の集落に火災が多発したことから、水押(口内町)の岳流水押神楽の指導を受け火伏祈祷を始めたのが由来となっている。現在舞われている神楽は、隣接する東和町の石鳩岡神楽の指導によるものである。
口内明神太鼓
昭和63年天神神楽の8人で立ち上げる。奥州市水沢の民族舞踏サークル「たけのこ」に指導を仰ぎ、演目「ぶち合わせ太鼓」を習得する。以来諸活動を続けている。平成16年から団体名を「口内明神太鼓」と改名して現在に至る。
早池峰岳流浅間神楽
昭和56年隣接の東和町浮田に伝わる早池峰岳流浮田神楽の小菅金蔵氏に飛集落(口内町)の有志が師事して発足。毎年3月1日の飛の火伏せには権現舞を舞い各家々の火防を祈願している。
八谷崎太神楽
明治初期に隣接の浮田地区から伝授された水押地区(口内町)の昆野勇之氏が、明治40年頃に草刈場集落に伝授した。八谷崎太神楽は、草刈場三代目の踊組から地域の子供を踊り手とする指導を受け、地域芸能として育てられてきたものを平成2年に復活させ、現在に至っている。
主な施設・名所旧跡・神社仏閣
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『まだ ござらしぇや』
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